11.11.10.団子坂上(千駄木2丁目)旧千駄木町
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背後(西)が旧駒込千駄木町。
左手後方(北へ広大)が東叡山御林。写真が無い……(゚Д゚;≡;゚д゚)
mixiアルバム「文京区千駄木/大給松平家 (11.11.10.)」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000054123189&owner_id=32815602
2012年03月21日 22:46
●千駄木――
古くは駒込村の一部で、名前の由来は、雑木林で薪などを伐採、その数が千駄にも及んだからという説、太田道灌公が栴檀(せんだん)の木を植えた地であり、この栴檀木が転訛した説などがある。
江戸時代の古地図の下駒込村内に“上野東漸院持ち駒込千駄木御林”、“上野寒松院持ち駒込千駄木御林”の記載がある。
・かつて坂上に徳川家康に仕えた、大給豊後守(おぎゅう ぶんごのかみ)の屋敷があったことから、大給坂と名付けられお屋敷街となる。
・1745年に町奉行支配となった町名に、駒込千駄木町、駒込千駄木坂下町、駒込千駄木下町の名がある。
・安田楠雄は、安田財閥の創始者 安田善次郎の孫。
※大給松平家――
松平親忠の次男 松平乗元を祖とする松平氏の庶流。三河国加茂郡大給(現 愛知県豊田市)を領したことから大給松平家と称する。十八松平の一つ。
松平宗家(徳川氏)に仕え、江戸時代には譜代大名4家のほか、数多くの旗本を出した。
江戸期は、美濃国岩村藩、遠江国浜松藩、上野国館林藩、下総国佐倉藩、肥前国唐津藩、志摩国鳥羽藩、伊勢国亀山藩、山城国淀藩、佐倉藩、出羽国山形藩、三河国西尾藩。
戦国時代、三河・家康に仕えていたのは松平家乗。大給松平家第6代当主。
(某が認識範疇に、大給サン家が記された地図は確認できず…(TΑT)くうっ)
※根津ですがw 千駄木2丁目の南です。
「根津神社/徳川家宣」→ http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000005461813&owner_id=32815602
アルバム: 東京都2文京区/武州江戸
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コメント (2)
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大給サン家が建造されたのは明治。江戸の古地図になくて当たり前でした(;^_^A
大名だけで4家。旗本は大身が2家? 大給の庶流として氏名変えた家は……。
とりま代表的4家の、どの大給サンが屋敷を設けたのか……。爵位は真次流のみ伯爵、あとは宗家以下みな子爵。はてさて。2021年8月27日 01:10 晴耕雨読 @黄昏の番犬 (0)
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