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要害山城(甲府市 要害山)

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写真: 要害山城(甲府市 要害山)

写真: 積翠寺(甲府市上積翠寺町) 写真: 要害山城(甲府市 要害山)

武田信玄公生誕の地。

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熊注意でーす∠(`´)ビシッ



mixi記事コピペ――2014年06月01日 11:05
14.05.30.
ようがいやまじょう(現在の山名はようがいざん)。国指定史跡。

築城年、永正17(1520)年
築城主、武田信虎
廃城年、慶長5(1600)年

信虎は前年に居を川田館(笛吹市石和町)から躑躅ヶ崎館(甲府市古府中町)へ移しており、駒井政武の領地である積翠寺郷の丸が躑躅ヶ崎館の詰城として取り立てられた。
同年、駿河今川の武将、福島正成(くしままさしげ)が駿州往還(河内路)から甲斐府中に侵入する。このとき信虎は身重の大井夫人を要害山城へ避難させた。夫人はその最中に嫡男太郎(晴信)を出産する。福島正成は敗退撤兵。

天正4(1576)年6月1日付武田家朱印状から、要害山城の普請が命じられている。
天正18(1590)年、加藤光泰により修繕が行われている。



中世豪族の居住形態を示すものとして価値を見出され、H3(1991)年文化財として登録された。
登城道は要害ホテル入口脇にある。
比高250mもある険しい山に築かれた、技巧的な山城。
現在は登山道が整備されており、登山はさほどきつくない。整備に当たり石段がさらに積まれており、遺構と混ざっている。


甲斐国巡回マップ
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1VY8nmTna0GP6H1hoaMPR0a1JsgU

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