昭和40年代初頭の撮り鉄の人々
これは、東京の拝島という郊外の八高線の駅の休日の一コマ。
こんなところで撮っていても国鉄の人には怒られませんでした。
たぶん、これは親父が撮ったもので、僕は一番向こうに白い野球帽を被って機関車を撮っています。
そして僕のカメラで撮った写真は、
http://juninho.blog16.fc2.com/blog-entry-1129.html
にあります。
動輪が三つに見えるから、これは以下のC58だったかもしれません。
http://photozou.jp/photo/show/1934405/165728269
しかし、そのまま進んだあと引っ張っている貨車が一致しないから違う編成かも知れませんが。
http://photozou.jp/photo/show/1934405/165731307
アルバム: 蒸気機関車
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コメント (2)
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ここはD51が有名でしたがこの機関車はC58ですね。
昔はおおらかでローカル線などは線路に入ろうが怒られたりはしませんでしたね。2015年5月17日 21:19 kura9n (34)
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鉄道にお詳しいkura9nさんにとってはお馴染みの風景だと思います。
たまにC58も居ました。(何枚かこのアルバムにありますね。)
そして、59674という機関車も遭遇致しましたよ。
http://photozou.jp/photo/show/1934405/163595934
ロケハンするのに、線路の上を移動したものでした。(爆)
歩いて行くと、時々、蛙や蛇が線路の上で煎餅になっているのを観たり、車輌がくる直前、線路に「カタッカタッ」って音が聞こえてくるので、ささっとどいて、横の茂みの辺りから撮ったり、長閑でしたねえ、、。
そのまま凝ってれば、僕のコレクションは相当なものになっていたはず、、。
やっぱり、アクティブに体を動かしたくなったのと、もともと小さいときからやっていたピアノが個人競技だったので、サッカーでチームワークの面白さに目覚めてからは、カメラの事は忘れてしまったんです。
ですから、父が亡くなったあとに、カメラに目覚めて母親が驚いたもんです。2015年5月18日 09:49 白石准 (40)
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